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主な彫物 | 備 考 |
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天野藤一/ 木下賢治 |
【土呂幕】 正:九州征伐 加藤清正の雄姿 右:賤ヶ岳の合戦 左:秀吉本陣佐久間の乱入 【見送り】 難波戦記 |
先代は昭和25年貝塚市久保新調 →平成1年泉大津市二田へ 先々代は小型の地車があったとのこと |
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植山工務店/ 「雲桟堂美術院」 松田武幸 |
【土呂幕】 正:川中島の合戦 〜信玄・謙信 龍虎相打つ 右:信長公記 〜桶狭間の合戦 左:難波戦記 〜真田左衛門佐信繁 茶臼山にて家康急襲 【見送り】 賤ヶ岳の合戦 |
現地車は平成17年9月25日新調入魂式 先代は昭和11年貝塚市半田新調 →平成17年和歌山県橋本市市脇区へ 先々代は岸和田市下松か八坂から購入し1〜2年曳行との説もあるが詳細は不明 三先代は熊取町七山から昭和初期購入し3〜4年曳行との説もあるが詳細は不明 四先代は大正末期に作才の氏原商店から購入〜売却か? 五先代は大正6〜7年担いだんじりで初代とのこと |
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麻生中 |
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井上英明/ 木下健司 |
【土呂幕】 正:川中島の合戦 右:熊谷直実 敦盛を呼び戻す 左:義仲北国日野川合戦 【見送り】 大坂夏の陣 |
現地車は平成29年9月10日新調入魂式 先代は明治34-5年岸和田市池の尻(現上町)新調 →昭和初期貝塚市麻生中へ →昭和44-59年は曳行休止、昭和60年に植山工務店にて大修理し曳行再開 →現地車新調に伴い保管中、詳細は下記参照 先代は担いだんじりとも云われるが定かではない 旧称は中村、現在の岸和田市山直中町(こちらも旧称中村)との区別のため改称 麻生中若頭会の"K.N"さんの情報提供に感謝! |
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麻生中 |
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<大源> 奥 治作・ 奥辰之助/ 宮地弥津計 |
【土呂幕】 正:川中島の合戦 右:敦盛呼び戻す熊谷次郎直実 左:秀吉本陣佐久間の乱入 【見送り】 関ヶ原の合戦 |
この地車は明治34-5年岸和田市池の尻(現上町)新調 →昭和初期貝塚市麻生中へ →昭和44-59年は曳行休止、昭和60年に植山工務店にて大修理し曳行再開 →地車新調に伴い保管中(平成28年10月23日昇魂式) |
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<大宗> 植山宗一郎/ 吉岡義峰・ 吉岡喜代志・ 森 曲江 |
【土呂幕】賤ヶ嶽の合戦 正:秀吉本陣佐久間の乱入 右:福島市松 拝郷五左衛門討取 左:加藤清正 新納式蔵守の血戦 【見送り】 上:本能寺の変 下:大坂夏の陣 |
現地車が2代目にあたるが詳細は不詳 |
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<植山工務店> 中司広数/ 岸田恭司・ 片山晃・ 高濱輝夫 |
【土呂幕】 正:朝比奈三郎と足利義氏の血戦 右:源頼朝公、鶴岡八幡宮放生会 左:粟津合戦、巴御前畠山重忠の決戦 【見送り】 一の谷合戦 |
現地車は平成25年9月1日新調入魂式、大工棟梁は当町中司広数(植山工務店)の出世地車 先代は昭和22年新調(箱曳き)で昭和23年に完全完成、昭和21年に植山工務店に発注しようとするも混み合ってたため岸田秀吉(現岸田建設)に発注したとのこと 先々代は昭和14年植山工務店を通じて某所地車を購入とのことだが詳細は不詳、この地車が初代にあたる →先代地車新調に伴い岸和田市額方面へ売却とのことだがこれも不詳 堀町新調委員会様、堀町若頭会様の画像・情報提供に感謝! |
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<大義> 植山義正 /木下舜次郎 助は金光南陽ら |
【土呂幕】 正:川中島の合戦 右:加藤清正 新納武蔵守の血戦 左:秀吉本陣佐久間の乱入 【見送り】 上:堀川の夜討 下:難波戦記 |
現地車が2代目にあたり、<大義>植山義正の出世地車 先代は新調時の詳細は不詳(子供だんじりという説もあり) →貝塚市福田へ売却し昭和40年代初期まで現存したとのことだが詳細は不詳 (貝塚市福田には地元の方が昭和30年ごろに作られた子供だんじりがあったという) |
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海 塚 |
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岸田秀吉・ 麻生川彦一 /石田利郎・ 助は実兄範治・ 前田正三 |
【土呂幕】 正:川中島の合戦 右:秀吉本陣佐久間の乱入 左:加藤清正奮戦 【見送り】 上:本能寺の変 下:大坂夏の陣 |
現地車が初代にあたる 昭和22年は水間より地車を借りての祭礼 |
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石 才 |
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吉野寿久 /岸田恭司 |
【土呂幕】 正:本能寺の変 右:加藤清正 新納武蔵守の血戦 左:秀吉本陣佐久間の乱入 【見送り】 上:曽我兄弟夜討 下:大坂夏の陣 |
先代は大正11年貝塚市石才新調 →平成7年堺市伏尾へ |
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