浜 七 町

町  名
画  像
新調/購入
大工/彫師
主な彫物 備  考
中町
クリックするとだんじり画像が拡大します 大正12年新調 田端辰次郎
 /開藤太郎
【土呂幕】源平合戦
正:源義家奥州衣川にて貞任を追う
右:粟津合戦 勇婦巴御前
左:石橋山合戦

【見送り】
賤ヶ嶽の合戦
先代は天保11年(1840)新調で現役最古の下だんじり
→大正11年貝塚市清児へ
→昭和23年和泉市今在家へ
→昭和34年和歌山県橋本市東家へ
大工町
クリックするとだんじり画像が拡大します 平成24年新調 池内幸一
 /山本仲伸
【土呂幕】
正:薄田隼人正兼相徳川本陣討入
右:真田幸村、本多忠朝の一騎討ち
左:後藤又兵衛の跳槍

【見送り】
上:夢幻如也
下:大坂冬合戦
現地車は平成24年8月19日新調入魂式

先代は大正12年新調
→平成24年堺市南区大庭寺へ(平成23年11月3日昇魂式)

先々代は明治32年新調
→大正8年貝塚市名越へ

三先代は文久2年(1862)新調で現存唯一の四つ屋根だんじり
→明治23年泉佐野市長滝中ノ番へ
中之浜町
クリックするとだんじり画像が拡大します 昭和26年新調
(昭和27年入魂)
天野藤一
 /木下舜次郎
【土呂幕】
正:平将門の勇戦
右:加藤清正九州征伐
左:本能寺の変

【見送り】
難波戦記
現地車は先代の戦災焼失により戦後の混乱期に関わらず日掛け10円の積立をして新調、昭和25年の祭礼時には未完成(一説には骨組だけ)の地車を曳行したとのこと。また焼失した先代の形見として唯一燃えずに残った曳綱鐶が使用されている。

先代は明治33年新調、大工は田端辰次郎、彫刻師は寺田卯ノ松、水滸伝の異名をもつ名地車であったが昭和20年7月9日の空襲により焼失、岸和田では唯一の戦災喪失地車となった。

先々代は新調時の詳細は不詳
→明治30年ごろ岸和田市八田町へ

三先代は安政3年(1856)新調
→幕末に貝塚市三ツ松へ銀2000貫で売却
→明治30年ごろに解体して現存しないが彫物が保管されており、墨書きに「花岡龍造義信」とある
紙屋町
クリックするとだんじり画像が拡大します 平成3年新調
天野藤一
 /松田正幸
【土呂幕】
正:川中島の合戦 信玄謙信一騎打
右:強力朝比奈三郎
左:巴御前の勇姿

【見送り】
三国志
先代は天保12年(1841)岸和田市紙屋町新調
→平成2年岸和田市立「だんじり会館」に寄付展示保存中、昇魂式は平成2年10月21日
大手町
クリックするとだんじり画像が拡大します 昭和15年新調
植山宗一郎
 /木下舜次郎
【土呂幕】
正:秀吉本陣佐久間玄蕃允の乱入
右:福島正則 拝郷五左衛門討取
左:加藤清正の奮戦

【見送り】
難波戦記(大坂冬の陣)
先代は大正11〜2年新調
→昭和14年泉佐野市湊へ
→昭和39年貝塚市馬場へ

先々代は明治20〜30年代新調
→大正10年泉佐野市上瓦屋へ
→平成14年和泉市尾井町へ
中北町
クリックするとだんじり画像が拡大します 平成18年新調 井上英明
 /木下賢治
【土呂幕】
正:石川五右衛門香炉盗り
右:熊谷道真敦盛を呼び戻す
左:和田合戦朝比奈三郎勇戦

【見送り】
賤ヶ嶽の合戦
現地車は平成18年7月16日新調入魂式
先代は昭和32年新調
→平成18年岸和田市南上町へ
先々代は大正5年新調
→昭和32年岸和田市箕土路町へ
→平成15年和泉市黒鳥町坊小路へ
三先代は明治30年代新調
→大正5年頃熊取町大宮へ
→昭和11年和泉市幸町へ売却も平成3年廃却
大北町
クリックするとだんじり画像が拡大します 平成24年新調 田中隆治
 /岸田恭司
【土呂幕】賤ヶ嶽の合戦
正:足海峠加藤孫六嘉明ノ功名
右:鳥打坂糟屋助右衛門武則ノ功名
左:庭戸濱福島市松正則ノ功名
【見送り】
越前北之庄落城
現地車は平成24年8月5日新調入魂式
先代は大正8年新調
→平成24年堺市片蔵へ(平成23年10月23日昇魂式)

先代は明治20年新調
→大正8年現熊取町小谷へ

先々代は安政3年(1856)新調
→昭和9年頃古物商を経て岸和田市吉井町へ
→昭和22年東大阪市角田へ
この地車の行方は長らく不詳であったが、岸和田市吉井町古老伝によるとこの安政大北町地車に他の地車2台の彫物を取付けられたものを昭和初期に古物商より購入したとのこと。その後転売された東大阪市角田に現存する地車には 岸極印が残り、 大修理までは屋根カラクリがあったことから間違いないものと推察されている。

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  • Update:2015/11/27