そ の 他 岸 和 田

町  名
画  像
新調/購入
大工/彫師
主な彫物 備  考
旧五軒屋町
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文化文政期新調
 情報募集中 【土呂幕】
正:張飛翼徳長坂橋の雄姿
右:劉備玄徳壇渓を渡る
左:関羽雲長の雄姿
【見送り】
素盞鳴命八岐大蛇退治
この地車は文化文政期に百姓村五軒屋(現岸和田市五軒屋町)新調
→途中経路は不詳であるが京都市東山区の寺社に
→大正期に京都・北白川の石匠・河波家が譲り受け
→昭和63年河波忠雄氏より岸和田市に寄贈、吉為・植山両工務店が共同で大修理、 岸和田城での展示の後、平成5年だんじり会館開館に伴い館内展示
昭和62年に河波家より岸和田市に調査依頼があるまで全く一般的には知られていなかった地車。 岸和田市と祭礼関係者が現地調査の結果、岸和田藩の検査認印である「岸極」印が確認されたことから岸和田城下での新調と判明、 加えて五軒屋町紋が彫られていることから藩政期に現在の五軒屋町が製作した地車と判明した。 天保期に新調された先代中町・先代紙屋町地車の形態と比較して文化文政期(1804-1828)に新調されたと推測されている。一説には文政7年(1824)説あり。 なおこの地車は現存する岸和田型地車としては最古のもので、前左右三枚式の土呂幕に立体箱式の見送り・屋根カラクリなど初期の岸和田型の特徴と伴に、 四神霊獣をはじめとする花鳥獣や三国志にまつわる精密な彫物が施され、当時の細工職人の技術の高さが伺われる。
紙屋町先代
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天保12年新調
尾崎平蔵広則/
 花岡源三郎
 花岡源七郎
 花岡源助
 華岡龍蔵義信・義寛
【土呂幕】
正:上杉謙信武田信玄川中島一騎討
左:巴御前の勇力
右:朝比奈三郎足利義氏鎌倉の戦い
【見送り】
馬上の関羽雲長と曹操孟徳
この地車は現岸和田市紙屋町が天保8年(1837)起工、同12年(1841)完成
→大正12年に前年の祭礼の衝突事故を受けて台木交換、屋根カラクリ固定、木軸を金属軸に変更の大修理、 この際の大工棟梁は新調大工尾崎平蔵広則の曾孫久納久吉・幸三郎兄弟、 昭和19年に久吉師が死歿するまで他の地車大工には手もふれさせなかったらしい
→平成2年昇魂式
→平成5年だんじり会館開館に伴い館内展示
沼町先代
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明治34年新調
《大新》
 櫻井新六/
  櫻井義國
【土呂幕】
正:平景清の錣引き
右:薩摩守忠度と
   岡部六弥太の血戦
左:巴御前の雄姿

【見送り】
一の谷の戦い
この地車は現岸和田市沼町が明治34年新調
同時期に同じ岸和田地区で新調された先代中之浜町地車の水滸伝統一彫り、 先々代五軒屋町地車(現長承寺地車)の大楠公記統一彫りに続いて 源平盛衰記の統一彫りで「源平地車」と称された銘だんじり。 彫師は安田卯ノ丸と腕比べをして勝った櫻井義國に決まったと云われている。
→平成13年、新調から100年間曳行して昇魂式(平成13年11月3日)
→同年同日だんじり会館に搬入し館内展示
画像は地車祭礼連絡協議会南部支部様に提供いただきました。
元岩根氏地車
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平成9年購入
絹屋?
 /西岡弥三郎
 情報募集中 明治期に岸和田市内畑某字新調(?)のからくり・後勾欄の付いた地車
→昭和40年大政工務店を経て泉大津市南曽根へ
→昭和60年泉大津市二田へ
→平成元年泉大津市池園へ
→平成9年岸和田市加守町在住の岩根淳氏へ
→平成21年奈良県葛城市大田へ
平成12年には堺市陶器地区鶯谷として曳行も

  • Update:11/10/10