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主な彫物 | 備 考 |
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《大佐11代》 川崎仙之助 / 《小松9代》 小松源助 |
【飾目】 獅子噛3面 【三枚板】前太平記 正:渡辺綱羅生門の鬼退治 右:頼光と酒呑童子の血戦 左:蝦蟇の妖術を使う伊賀寿太郎 (↑備考欄参照) |
この地車は明治20年頃に住吉大佐より購入の住吉型 見送り三枚板左面の「蝦蟇の妖術を使う伊賀寿太郎」は推測。当初「平良門」もしくは「肉芝仙」と推測されたがその白髪の風貌より「伊賀寿太郎」が有力。 ただし確証はなく宝塚市小林地車と同じ図柄だが下絵の特定には至っていない。 先代は舟だんじりがあったとの記録(文政13年(1830))があり、明治初年まで曳かれたとのこと |
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池内福治郎/ 井尻翠雲 |
【土呂幕】 正:西王母と東方朔 後:高砂 【見送り】 大坂夏の陣 |
現地車は昭和59年堺市津久野大東組新調 →平成17年河内長野市西代へ(平成17年5月15日入魂式) 先代は明治期に住吉大佐より堺市平井へ →芦屋方面の個人→梶内だんじりへ →昭和39年河内長野市西代へ →平成17年東大阪市灰塚へ(平成16年10月24日昇魂式) |
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池内福治郎/ 中山慶春・ 十場祐次郎 |
【飾目】 獅子噛三面 【見送り】 大坂夏の陣 |
現地車は昭和61年高石市3区(南)新調 →平成4年河内長野市下西代へ |
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大工不詳/ 彫又一門 |
【飾目】 獅子噛三面 【三枚板】 正:漢の高祖の龍退治 右:大巳貴命の鷲退治 左:天竺の班足王 |
現地車は明治期以前に堺方面の大工の製作 →明治初期河内長野市野作へ |
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河村新吾/ 西岡清蔵? |
【飾目】 獅子噛三面 【三枚板】 正:黄帝と蚩尤の戦い 右:大巳貴命の鷲退治 左:天竺の班足王 |
現地車は明治初期に堺の大工「河村新吾」の製作 →堺小阪の「堀内市松」を経て河内長野市上原へ |
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天野藤一/ 木下賢治・ 松田正幸 |
【土呂幕】 源平盛衰記 【三枚板】 千早赤坂の合戦 |
先代は新調詳細不詳、堺の大工(木村源平?)の製作 →河内長野市小山田へ →明治31年河内長野市原へ(大佐地車請取帳に「南河内郡長野村大字原松本正三郎様」とあり、購入に際し住吉大佐にて修理した模様) →昭和63年河内長野市滝畑へ |
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《萬源》 木村源平/ 《彫又》 西岡弥三郎 |
【飾目】 獅子噛三面 【三枚板】 加藤清正の勇戦(朝鮮の役) |
現地車は明治12年堺の大工木村源平により新調 →明治初期河内長野市小山田へ →明治26年河内長野市石坂へ (大佐地車請取帳の明治31年以降の項に「南河内郡長野町字石坂清明塚東瓦製造商小澤源太郎様」とあり、この頃に住吉大佐にて修理した模様) |
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《大佐11代》 川崎仙之助/ 彫又一門 |
【三枚板】 正:素戔嗚命の大蛇退治 左:大巳貴命の大鷲退治 右:武松の虎退治 |
現地車は明治初期に住之江区安立町某丁新調 →大正10年頃堺市草部太井へ →平成10年河内長野市古野へ(平成10年2月15日搬入) なお現地車を購入するまでは上古野と称した。 先代は堺の榎方面より購入の江戸末期〜明治初期製の地車 →昭和3-4年河内長野市上古野へ →平成10年現地車購入にあたり千早赤阪村中津原の大工へ →平成15年千早赤阪村中津原新調の地車新調時に彫物のみ使用 |
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